
東海アルミナ磁器工業(株) 取締役 総務部長
朝井紀美子さん
Colors #01
日本のものづくりを支えてきた町工場。その現場は、油の匂いと機械音だけでできているわけではありません。精密な検査に向かう繊細な手元。人と人のあいだを取り持つ気配り。表に出る機会こそ少ないけれど、そこで働く女性たちは、それぞれのやり方で、ものづくりの現場を確かに支えています。新企画「Colors of FACTORY」では、製造の現場で働く女性一人ひとりに、光を当てていきます。
編集員 砂田
本企画発起人
担当編集員
第一回に登場するのは、東海アルミナ磁器工業で経理・総務を担う朝井紀美子さん。20年以上ピアノ講師を務めた後、エステサロンを経営。職業としてはものづくりと離れた道を歩んできた紀美子さんが、なぜ家業の町工場に入り、いまもその現場を支えているのか。編集部の砂田が、その歩みをたどる。
第一章──
「お父さんの会社」は、幼い日の誇りだった。
昭和36年(1961年)。紀美子さんが2歳のとき、紀美子さんの父で、同社の創業者・元会長の故平野倍男氏が、瀬戸市に小さな工場を興した。アルミナセラミックスの部品をつくる、小さな町工場である。(工場は後に、現在の春日井市へ移転)
幼い紀美子さんの目に映っていたのは、仕事に打ち込む父の背中だった。朝は誰よりも早く工場へ向かい、夜遅くまで手を動かしていた。幼い紀美子さんの目に映るのは、いつも仕事に打ち込む背中ばかり。平日に顔を合わせた記憶は、ほとんどない。それでも、夏の海やお正月の旅行は、家族そろって出かける特別な時間だった。
工場の記憶は、日曜日の匂いとともにある。父に連れられて工場に行くと、アルミナ原料の細かな粉が空気中に舞い、工場内は白っぽく霞んで見えた。機械はゴウンゴウンと低い音を立てて回っていた。何をつくっているのか、子どもの紀美子さんには見当もつかなかった。それでも、「すごい場所だ」と胸が高鳴った。
「匂いがいいんですよ。バニラのような、釉薬の香りがして。今でも、ふっと思い出せるくらい」
父は、家で仕事の話をほとんどしなかった。そのため紀美子さんは、父の会社で何をつくっているのか、詳しく知らないまま育った。ときどき香港や韓国の取引先の人々が自宅に招かれ、食卓を囲んだ。イギリスから訪れた取引先の人が泊まったこともある。「こんな小さな工場が、世界とつながっているんだ」詳しくは知らないなりに、「お父さんの会社」は、幼い彼女にとって、少し誇らしい存在だった。

工場には、温かい人がいた。現在相談役を務める元工場長の近藤さんを、紀美子さんは小学5年生の頃から知っている。1970年に入社し、勤続50年の表彰を受けた。中学の春休み、一週間ほど工場でアルバイトをしたとき、丁寧に仕事を教えてくれたのが、この工場長だった。
「父とは違って、本当に優しく手ほどきしてくれる。私にとっては“第二の父”のような存在です」
何をつくっているのかは、やっぱり分からないまま。それでも、教わったとおりに手を動かすのが、ただ楽しかった。あの頃からこの工場には、人を包み込むような温かさがあったのだ。
やがて紀美子さんは、工場とは正反対の道を歩みはじめる。小さな頃から続けたピアノ。短大で資格を取り、河合楽器の音楽教室で、20年以上にわたって講師を務めた。並行してエステの資格も取り、自宅でサロンも開いた。町工場の油や釉薬の匂いとは、まるで無縁の毎日だった。
転機は、突然やってきた。長く経理を担ってきたベテランが引退することになり、父から声がかかったのだ。「お前が、やらないか」と。ただし、条件がひとつ。
「やる以上は、ほかは全部辞めてこい」

エステにも、ようやくお客様が付き始めた頃だった。最初は断った。けれど、そのままにしていると、父の機嫌はどんどん悪くなっていく。困り果てて友人に相談すると、こう言われた。「それ、お父さんなりの、最大限の愛情だよ」。今振り返ると、天職と思えたエステから離れ、別の道へ進むことになるきっかけを父がつくってくれたように感じるという。ただ、ピアノだけはどうしても手放せず、担当していた教え子に限って、指導を続けた。こうして彼女は、まったく未経験の経理という仕事に飛び込んだ。
はじめての経理は、想像を超えて過酷だった。受注処理、見積書、製造への依頼書、給与計算、社会保険の手続き。そのすべてを、たった一人で回す。試算表は合わない。現金も合わない。「よくあれでやれていたなと思います」と、紀美子さんは苦笑する。
そんな彼女を、二つの手が支えた。ひとつは、辞めたはずの前任者。「日曜日ならいいよ」と、こっそりヘルプに来てくれた。一緒に帳簿を眺め、「この辺が臭いんじゃない?」と指をさす。調べてみると、まさにそこがズレている。まるで経理の達人だった。もうひとつは、現場のベテラン女性たちだった。「ここはこうやるといいよ」「これ任せて、やっておくから」。今はもう80代半ばから後半になった彼女たちは、80を過ぎるまで、この工場で働き続けた。紀美子さんとは、今でも一緒に食卓を囲む仲だという。
第二章──
無口だった現場が、会話が弾む場所へ。
紀美子さんが経理として入社して、20年あまり。経営に近い場所から、工場が変わっていく様子を見つめてきた。
かつての現場は静かで、「自分の仕事さえ済んだら、おしまい」そんな職人気質の人ばかりで、男性社員同士が会話している姿を、彼女はほとんど見たことがなかったという。それが、人数が増え、リーダー研修を始めたあたりから、少しずつ変わっていく。週に一度の工程会議。そこで、かつては無口だった社員たちが、現場で図面を囲み、「これ、おかしくない?」と意見を交わすようになった。
情報共有が進むにつれ、不良の予防や早期発見への意識も高まった。ミスや違和感を一人で抱え込まず、互いに声を掛け合う現場へと変わっていった。そうした変化を、紀美子さんは今も嬉しそうに語る。
この工場は、昔から女性の多い職場だった。今も現場は、男女がおよそ半々。検査やプレスの部門では、女性リーダーが活躍している。細やかな視点を活かし、若い社員に「髪の毛、しっかり結んでね」と安全を気づかい、ときに男性社員には言いにくいことでも、気遣いをしながら伝えてくれる。そうした一人ひとりの働きが、現場の土台を支えている。
女性の働き方そのものも、時代とともに移り変わってきた。以前の同社では、子育てが一段落した30代半ば頃に入社し、長く勤める女性が多かったという。根気のいる仕事だからこそ、腰を据えて長く働く人たちに、この工場は支えられてきた。しかし今は募集してもなかなか人が集まらない。だからこそ、若い世代を採り、じっくり育てていきたい──。紀美子さんの言葉には、次へバトンをつなごうとする、静かな決意がにじむ。

働く環境の改善にも、紀美子さんは積極的に関わってきた。「トイレが汚いと、若い子は来てくれない!」。社長を説得し、冷房付きウォシュレット付きトイレへ新築してもらった。事務所も食堂も、見違えるようにきれいになった。社内イベントも様変わりした。昔は男性社員だけで年に数回、食事に出かけていたが、「私たちも行きたい」という彼女のひと言をきっかけに、今では全員で出かけるようになった。花見に、夏のうなぎを食べる会。「みんなで行くようになってから、会社の空気が、ずいぶん変わりました」。取引先からいただいた野球のチケットやお歳暮を「じゃんけん大会」で分け合うのも、今ではすっかり名物行事だ。「勝った人は、絶対に自分がもらうこと!」。紀美子さんが決めたそのルールが、厳しい仕事のなかに、ふっと肩の力が抜ける時間をつくっている。
こうした変化を、社長もまた、同じ方向から見つめている。
「うちの仕事は根気がいるものが多いので、女性に向いているんです」と社長は言う。だからこそ、女性が産休や育児休暇を当たり前に取れる環境をつくることは、社会にとっても、会社にとっても欠かせない。「これからは息子(専務)が中心となる時代が来ますが、中小企業として“大手に物言える技術力”を持ち続けるためにも、女性も男性も、一人ひとりが主役になれる会社にしていきたい」。
その言葉を、現場でかたちにしているのが、紀美子さんだ。仕事の厳しさは、専務や工場長が伝える。その一方で、彼女はいつも「どうすればみんなが働きやすいか」を、先に考えている。ヒートアップする社長と、それに正直に意見する専務。二人がぶつかったときには、その間にすっと入り、仕事とはまるで関係のない話題を差し込んで、張りつめた空気をほぐしてしまう。「紀美子さんにしかできない技です」と、専務は笑う。


社長と専務がぶつかった日には、それぞれの奥さんにLINEを送るのも、彼女の流儀だ。「今日こういうことがあったから、おいしいもの食べさせてあげてね」──。
東海アルミナは今、社長から専務への継承という、大切な時期にある。以前の紀美子さんは、会長の引退にあわせて、自分も辞めるつもりでいた。今では、受注業務や労務管理を担う優秀な担当者2人に囲まれ、もう少しこの場所にいたいと思っている。最近の専務は、驚くほどの速さで成長していると語る紀美子さん。「“責任が人を強くする”というのを、そばで実感しているんです」。専務と、会社の成長を見届けること。それが、これからの彼女の楽しみだ。