15秒に凝縮された、
70年の歩み。

(資)六兵衛製陶所

#01 (資)六兵衛製陶所
愛知県瀬戸市赤津町38
TEL:0561-82-4585
織部の陶器を中心に生産する窯元。250年以上にわたり受け継がれてきた伝統製法を用い、数人の職人で分業しながら手づくりしている。

「現代の名工」は、
機械より速い。

「すごい…」思わず感嘆の言葉が漏れる。ありえないスピードで次々と食器が成形されていく。シンプルな形状であれば、約15秒に1個のペース。『現代の名工』にも選出されたろくろ師・山内砂川さんのろくろ技術を目の当たりにして、我々編集部は驚きを隠せない。

「手が勝手に動く。いちいち考えたりしないよ。」そう言いながら、クルクルと回転するろくろの上に、ラグビーボールサイズの粘土の塊をドスンと置く。その手さばきは意外なほど無造作だ。今度は何をつくってくれるのだろう?と思う間もなく、答えはすぐに差し出される。山内さんが手で触れるやいなや、粘土の塊はみるみる筒状に立ち上がり、急須の胴体部分へと姿を変える。指先の動きに無駄がない。淀みがない。さらに、「これが持ち手」「これが注ぎ口」と説明しながら各パーツをあっという間に成形。そして、最後につくった蓋を急須本体の上に置くと、寸分の狂いもなくピタッとはまる。もちろん、この一連の作業はすべて目分量。わずか1分ほどで急須ができあがってしまった。正確性と速さを両立してこそ職人芸というが、山内さんはその領域を軽く飛び越えている。もはや「神業」と言うほかない。

エネルギッシュな山内さん。「数をつくり過ぎてしまうので、コントロールしている」と笑う。

現在86歳(取材時:2019年)。腕は隆々として太く、服の上からでも肩周りのたくましさがわかる。ろくろの前であぐらをかく姿勢も美しい。つねに背すじがピンと伸びているのは、「腰が悪くなったら、ろくろ師は終わり。」だから日々歩いたり、スクワットするなど運動も心がけている。おまけに、「まだ老眼にもなってないんだよ」と笑いながら言う。技だけでなく、肉体まで常人離れしているのだろうか。いやはや、恐れ入った。

速くつくれなきゃ、
ろくろ師は食っていけない。

赤津焼の窯元である六兵衛製陶所は、寛保2年(1742年)に開窯。加藤家が代々継いできた。現在代表を務める加藤大吾さんで27代目になる。赤津焼とは、愛知・瀬戸の赤津町周辺でつくられる陶器を指し、日本六古窯の一つにも数えられている。窯元ごとに特徴があり、六兵衛製陶所の場合は、『渋入れ』など昔ながらの伝統技法を得意とする。『渋入れ』とは、水に浸したとちかさ(どんぐりのぼうし部分)から出る酸によって、『織部』の美しい深緑色を引き出す技法だ。『貫入』(陶器表面の細かなヒビ割れ模様)に茶色い色素が沈着し、模様がより美しく際立つという効果も得られる。

[写真:左]朝の光が差し込む工房。その光で器の陰影が美しく強調されていた。[右]何気なく立てかけられた言葉にハッとさせられる。

各工程を分業、効率化しているとはいえ、ろくろ成形から絵付け、施釉、本焼き、渋入れに至るまで、基本的にすべて手作業。機械化された大量生産品が持ちえない、深い味わいを出すためだ。一方で、実用性と安さも重視している。陶芸家による1点モノはもちろん素晴らしいが、少数の人にしか手が届かない。六兵衛製陶所としては、良いものを、もっとたくさんの人に届けたい。それを実現するうえでの必須条件は、圧倒的なスピードで手づくりすること。とりわけ要となるのが、山内さんのろくろ技術なのだ。

陶芸家とろくろ師では、意識が大きく異なるという。「陶芸家は自分がつくりたいものを追求する。でも、ろくろ師は食器、茶器、酒器、花器と、注文に応じてなんでもつくる。1点1点が安いから、とにかく数をこなさないと儲けが出ない。速くつくれなきゃ、食っていけないんだよ。」この尋常じゃないスピードは、「才能」という一言では片付けられない。「ろくろ師として生きていく」という強い意思と切実さにより磨かれたものなのだ。

陶芸の道に、ゴールはない。
だからおもしろい。

六兵衛製陶所に弟子入りしたのは14歳のとき。戦後間もない頃の赤津には、ほかに働き口がなかった。「父親を戦争で亡くしてね、どんな仕事でもいいから食ってかなきゃいけなかった。」朝7時から夜22時まで、ひたすら土の仕込みに明け暮れた。22時を過ぎてからが、ろくろの修行に励む時間。師匠から何かを教えてもらえるわけでもない。仕事中に目で見て盗む。師匠のいない夜中に実践する。そして20歳になったとき、ようやくろくろを回させてもらえるようになった。

ろくろ師としてもともと筋は良かったというが、現状に甘んじることなく、鍛錬を重ねた。茶華道を学んだのもその意識の表れだ。「お茶の作法を知らない人に、茶器はつくれない。お花を飾ったり活けたりできない人に、花器はつくれない。だから勉強したんだよ。」やるからには徹底的にやる。27歳から数十年にわたり茶華道の講師を務めるまでになった。

(資)六兵衛製陶所・山内砂川さん

エネルギッシュな山内さん。「数をつくり過ぎてしまうので、コントロールしている」と笑う。

43歳のとき、全国選抜手ろくろ競技会で第1位を獲得。この頃にはすでに、トップランナーとして名を知られる存在に。『つる首』と呼ばれる、高さ数十センチにもおよぶ細長い花瓶は、山内さんの代名詞となる。その高い技能により、75歳のとき『現代の名工』に選出。さらにその2年後、『黄綬褒章』を受章。これ以上ないくらい輝かしい道を歩んできた。

そんな山内さんだが、仕事としてだけでなく、趣味としても陶芸に勤しんでいる。自宅にこしらえた窯の前では、ろくろ師という職業から解き放たれるのかもしれない。陶芸家のように、純粋に自分がつくりたいものをつくっている。「一度ね、本当に満足のいく色が出たんだよ。70年間の陶芸生活で、間違いなく最高傑作。でもね、あの色がどうしても再現できない。何度も何度も挑戦したんだけどね。」悔しそうに語るが、その瞳はまるで少年のように輝いている。山内さんは、純粋に焼き物を、陶芸を愛しているのだ。陶芸の世界は本当に奥深いという。「いつまでも極められない。だからおもしろい。」

250年の歴史を、
次世代につなぐ。

「めぐみ鉢」は最近のヒット作。すり鉢といえばふつう、食材を削るための溝が刻まれているが、この器の内側には溝がない。代わりに、内側だけ釉薬を塗らずに本焼きすることで、ザラザラの質感にしている。たったそれだけのひと工夫で、ちゃんと食材をすることができるのだ。テレビ通販番組で取り上げられ、わずか40分の間に1400個も売れた。削り溝がないから洗うのがとても楽だ。しかも、ゴマなどをすった後にそのまま食器としても使える。六兵衛製陶所らしい、美しさと実用性を兼ね備えた商品である。山内さんがろくろを回し、職人数名で分業し、短期間のうちに量産した。

代表の加藤さんは言う。「父が3歳の頃から、山内さんはここで働いていました。父が病気になり跡を継いだ私は、父から教わったことがない。でも、加藤家に伝わる先祖代々の教えは、山内さんから毎日教わっています。それがありがたいですね。ろくろだって回しています。まだまだ山内さんには到底およばないですが(笑)」

焼き物の世界においても機械化が進行し、昔ながらの伝統製法を貫く窯元は年々減少している。しかし、機械は万能ではない。この先も、手づくりならではの味わいを、人は求めつづける。250年脈々と受け継がれてきた技術が伝承されていくことには、大きな価値があるのだ。六兵衛製陶所は今後も、手仕事の素晴らしさを体現してくれるだろう。

六兵衛製陶所 スタッフの皆さん

阿吽の呼吸で作業する皆さんに、短い取材時間ながら強い信頼関係を感じた。山内さんの隣りで和やかに談笑するのは加藤大吾さん。山内さんの技術を継承する職人でもある。

 

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