どんな社長になら、なれるか─。
三代目の決断。

#09 安田金属工業(株)
岐阜県不破郡垂井町表佐2806-1
TEL:0584-22-3164
http://www.yasudametal.com/

自動化された工場もすごいが…

円筒状のビレットと呼ばれるアルミ材料が、押出プレス機により長さ43メートルのテーブル上へ形材として押し出され、次の工程に向けてゆっくりと自動搬送されていく。近くに人影はない。広い工場の中を見渡しても、社員は50メートルほど先に1人、2人いるだけ。熱処理やアルマイト処理も同様だ。多くの工程が徹底的に自動化されていることに気づく。「工場内には10人しかいません。可能な限り自動化しようと、先代の頃から設備投資を進めてきました。有名企業が視察に来られることも多いんですよ」。工場長の岡崎さんがにこやかに説明してくれた。

[写真:左]社長自らドバイで買い付けてくるというアルミビレット。1本約300kg! 「盗まれる心配はありません(笑)」と話すのは、工場長の岡崎さん。[写真:右]切断したビレットを400~500℃に加熱。プレス機によって、アルミの塊がところてんのように押し出されていく。

安田金属工業は、大阪に本社、岐阜と滋賀の2カ所に工場を構えるアルミ加工会社だ。建材を中心にさまざまな用途の形材製品を取り扱う。同業者からベンチマークにされるほど高度に合理化された生産ラインは、同社の特筆すべき強みである。

ところが、安田金属工業「らしさ」はむしろ、そんなスマートさとはかけ離れたところにある。それは「思いやり」。しかも前代未聞なほどの。それほどまでに、人とのつながりを大切にする会社なのだ。会議室に現れた三代目社長、安田立明さんの口から語られたのは、取引先や社員に対しての人情味あふれるエピソードばかり。特に、社員に注ぐエネルギーは凄まじい。そこには、ついさっき目にした工場の合理性やビジネスの常識とは対極の、人間くささがあふれていた。

ある日、突然渡された
父からのバトン。

まず驚かされたのは、社長就任の経緯だ。現会長の安田耕さんが二代目社長だった2007年のことである。「会議室でミーティングしていたら、父がふらっと顔を出してこう聞いてきたんです。『今度の誕生日でいくつや?』と。40だよと答えたら、『そうか、おまえやれよ』とだけ言い残し、去っていった。当時の工場長と顔を見合わせましたよ。『今のって、社長やれってこと?』って(笑)」。

もともと入社した段階で会社を継ぐことは決まっていたという。とはいえ、先代の方針もあり、その歳になるまでずっと平社員だった。「周囲から『あんな若造が』と思われても仕方ないですよね。しかも、リーマンショックが起こる少し前で、世の中が大変な状況。でも、そんな逆境だったからこそ、会社がひとつにまとまった」。当時の課長たちは口々に「俺たち、できることは何でもするから」と声をかけてくれたという。先代は息子のため、社長交代のベストタイミングを見計らっていたのだ。

こうして社内は団結した。安田社長が次に気にかけたのが取引先である。「リーマンショック前後の不景気で、生産量は2〜3割減。ただ、新規の取引先はその頃増えつつあった。もし、景気が上向いて受注が増えたら、工場がパンクするんじゃないかと危惧したんです。結局、それで困るのはお客さんですから」。そんなタイミングで偶然、滋賀のある会社がアルミ押出し工場を閉鎖するという情報を入手。交渉の末、工場を買収することに決めた。これが現在の同社滋賀工場である。「うちが買うと新聞に載ったときは、同業者から散々な言われようでした。『あの若社長はバカなんじゃないか』って」。しかし、この申し出の直後に新規受注が重なり、急転直下、滋賀工場は大忙しに。既存顧客のために行った工場買収が思いがけず、会社経営を軌道に乗せたのである。

[写真:上]押し出された長さ43mのアルミ形材は、常温冷却されながら、無人の空間を自動搬送されていく。驚くほどオートメーション化が進んでいる。[写真:左下]指定の断面寸法を満たしているか、1本ずつ厳しく検査。ここはあえて手作業で品質に万全を期す。[写真:右下]熱処理により硬化させたのち、アルマイト処理へ。電解着色の槽から引き上げると…ダークブロンズ色に変身! 耐候性・耐蝕性を強化するとともに、意匠性も向上。

100人と面談。
さらには家庭訪問も。

会社の規模が大きくなり、大変になったことがあるという。それは、先代の頃から続けてきた1対1の社長面談だ。「1人あたり15分。100人を超える社員と年2回。なかなかハードですよ。大阪、岐阜、滋賀を行ったり来たり。最近はオンライン面談もあるけど、『Webじゃ寂しいっすよ』なんて言われるし(笑)。話の長いやつもいて、30分経ってるのに『もう終わりですか!?』とかね。もうじゃねえよって(笑)」。破顔一笑の安田社長。その笑顔は、面談が長引くのが嫌どころか、むしろうれしいと感じているかのようである。

社員との密なコミュニケーションは、それだけにとどまらない。安田社長の代になって新たに始めたのが「家庭訪問」だ。「社員の家族と会うのって、結婚式でもない限り、不幸があったときくらい。それって、寂しいじゃないですか。それに、みんな面談やお酒の席なんかで言うんです。『家族のためにがんばってる』って。だから、実際にご家族にお会いして話を聞きたいと率直に思ったんです。社長としても、もっとできることがないか知りたかった」。

前代未聞の取り組みに対して、最初は戸惑う家族もいたという。「家に上がったら、奥様がこわばった表情でこう言うんです。『うちの旦那、何をしでかしたんでしょうか。どうかクビだけは…』と。びっくりしましたよ。その社員に聞いたら、『今度うちの社長が来るから』くらいしか伝えていなかったみたいで。そりゃ、奥様も構えるわって(笑)」。

社員全員の「親父」に就任した日。

家庭訪問は、間違いなく骨の折れる取り組みである。しかし、そのおかげで社員の身を守れるようになったという。「以前、22時過ぎに、ある社員の奥様から電話がありました。涙ながらにこうおっしゃるんです。『うちの夫、熱出してるのに出勤するって聞かなくて。社長どうしましょう…』って。当時の夜勤は23時からでした。『電話くれてありがとう』と言って、出勤してきた旦那を呼び止めて帰らせました」。仕事熱心な社員ほど、どうしても無理をしがちだ。しかし、家族とのホットラインさえつくっておけば、いざという時にケアすることができる。同様のエピソードは他にもいくつかあるという。「こういうケースに1つ2つでも気づけたら、それだけでやっていて良かったと思うんです」。

これほどまでに社員を大切に想い、行動に移す経営者はまずいない。いったい何が安田社長を突き動かすのだろう。原点は、実の家族に対して行ったある「儀式」だという。話は再び2007年まで遡る。「創業者の祖父はアイデアマンで、商売のセンスが抜群だった。二代目で現会長の父は、会う人、会う人が惚れ込んでしまう人たらし。社長を継ぐとき『俺はどっちにもなれないな』と思いました。『じゃあ自分にできることは何だろう?』それで、ふと気づいたんです。『父のようにみんなに好かれなくても、俺がみんなを好きになることならできるじゃん』と」。安田社長の覚悟が決まった瞬間だ。その日、家に帰ると4人の子どもを座らせてこう言った。「実は俺、社長になったから。もし何かあったとき、先に社員を守らなきゃいけないんだ」と。子どもたちが理解できたかはわからないという。「それでも、自分のなかの儀式だったんです。社長をやるってことは、そういうことなんだと」。こうして、平社員だった安田立明という人物は、社員全員の「親父」に就任したのだ。

「親父、ありがとな」

安田社長には、手放せない古い携帯電話がある。ある社員から届いた感謝のメッセージが保存されているからだ。「親父、ありがとな。一社員のために、ここまでしてくれて」。もちろん二人の間に血縁関係はない。だからこそうれしかった。「社員の1人がちょっとしたピンチだったので、いろいろと動いたんです」。それを見ていた別の社員が伝えてくれたのが、冒頭の感謝のメッセージだ。「パカパカ開くガラケーなんだけど、未だに捨てられないんですよ」。数年前の出来事を振り返りながら、安田社長は照れくさそうに笑う。思わずこちらも胸が熱くなる。取材者冥利に尽きる瞬間である。

現在、社員数は100名を超える。業績は堅調。しかし、さらなる事業拡大には興味がないと安田社長は言いきる。「それより大事なのは、社員たちの未来です。困難を乗り切る力を身につけさせることが、僕の役目だと思っています。会社はひとつの家族。お客様も仕入先も含めてひとつの村。この先もずっと、『うちの村にいてくれてありがとう』と感謝してもらえる存在であってほしいんです。それができたら、きっとみんなが幸せになれますから」。

立体的な製品ストッカー。いわゆる自動倉庫。ここまで機械化している同業者はほぼいないという。フォークリフトによる事故リスクを減らせるというメリットも。

編集担当:小林 祐希

すっかり私もファンになってしまいました。

「金属の塊」や「力仕事」を想像していただけに、オートメーションが進み省人化が徹底された、緻密でスマートな工場にはとても驚かされました。その一方で、働くみなさんから感じた、家族のような信頼関係。自動化とアットホームのギャップにすっかりファンになってしまいました。

TOP